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平成19年5月26日 創立50周年記念祝賀会(中央の着物姿は現・清水紘子会長)。
戦後の荒廃のなかでスポーツ活動等に取り組んだのは、昭和22年より、三鷹町内の青年団連合体の野球・卓球・陸上・駅伝・フォークダンス・サイクリングなどの種目で、その親睦・交流が図られるようになったことが今日の原点です。これと平行して市内の各企業にもスポーツ熱が高まり、競技種目毎に運動部が芽生え、青年団と企業が一体となって活動が続き、連盟・協会が設立された。昭和32年6月には、これらの活動が一本化され、体育協会の結成準備会が発足。同年7月には、レクリエーション団体と競技団体合わせて13団体により発足する運びとなりました。
時期を同じくし、(財)東京都体育協会、昭和36年6月には都下体育協会連合会が結成され、三鷹市体育協会が、それぞれ加盟し現在に至っています。発足以来、各競技団体の活動推進のほか、三鷹市と共催で「スポーツの祭典」や各種大会を実施し、スポーツの振興に努める。昭和36年には、市教委社会教育課で体育協会の事務を行うようになった。
昭和39年「東京オリンピック」を契機に市民スポーツヘの関心も高まり、各種スポーツ教室への参加が急増した。昭和44年には、体育協会嘱託職員を採用し、体育協会の業務を行うことになる。昭和43年には、「市民第一体育館」が建設され、昭和46年には第一体育館に事務局が置かれ、局長と職員の2名が専従となり、これを契機に体育協会の自主的活動が推進されました。
「地区体協」として、市民スポーツに溶け込んでいこうという姿勢から、積極的に技術指導、大会への市民参加促進、三鷹市への体育施設面の充実を訴え、スポーツ振興の中核となる団体へと発展しました。
また、昭和46年から年2回開催の井の頭恩腸公園池畔「歩行力測定会」も、35年(通算70回)になります。さらに、体育祭スポーツ大会・種目別少年スポーツ大会やスキー・スケート教室・体育館夜間管理等三鷹市から事業の受託など体制づくりにも努めました。
昭和48年に三鷹市と共催で独自の「スポーツ指導員」制度を確立し、当初は16種目延べ325人を認定。毎年、養成認定・更新の研修会を開催し、近年では、190人を超える指導員がスポーツ教室の溝師・補助員・体育施設一般公開の管理指導者として活躍している。また、市民体育祭をはじめ三鷹市民駅伝大会も第15回を数え、市民から期待されている。18年度からは、パソコン委員会をもうけて、ホームページの開設をはかっています。
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